2015 年 01 月号より
紙の本はやがて絶滅するだろうといわれている。新聞によると全国で本屋さんが毎月二店舗以上閉鎖しているという。活字離れと電子書籍が本屋さんを追い詰めているのだ。だが、どんな時代が来ようとも<文學の森>は紙の本づくりにこだわりたい。とは言っても現代の本づくりは電算写植とオフセット印刷(平板)である。昭和の活版印刷はもはや"絶滅危惧種"となっている。文撰工と呼ばれる職人が活字棚から一字一字を拾って組み版をつくっていく。印刷された紙面は活字の圧で凹みができる。その手ざわりとインクの匂いがたまらなく懐しい。日本の手漉和紙の技術がユネスコ無形文化遺産に指定された。この和紙を使用して活版印刷で句集をつくりたい。春になったら和紙の産地(島根県浜田市、岐阜県美濃市、埼玉県小川町)巡りをしたいと思っている。
2014 年 12 月号より
人は、いつか死ぬときがくるということを子供のころから漠然とわかっている。だが、若いころは自分の死は星よりも遠い存在でしかない。七十歳を過ぎると、死はいつも身辺に控えている。木田千女さんに<チューリップわたしが八十なんて嘘>という句がある。誰もがくすっと笑いながらそのあと、妙に胸にしみる。ことしも大勢の俳人が旅立っていかれた。主な氏名を挙げると村越化石、松崎鉄之介、山上樹実雄、大橋敦子、倉田紘文ほか(敬称略)。人は生きていることが偶然で死は必然である。また、人は生まれかわるために死ぬのである。それにしても人生は短い。光陰人を待たず。気がつくと今年も十二月。「もういくつ寝ると」というわらべ唄を思い出す。さて、先月号の本欄で予告した通り本誌は新年号から大胆に変身します。ご期待下さい。
2014 年 11 月号より
<此秋は何で年よる雲に鳥  芭蕉>秋らしくなったとたん夏の疲れがどっと出てきた。声はしわがれ、何をするのもおっくうである。ずいぶん遠くまで来たものだと思う。そろそろ私の後継者を考えなければならない。だが、その前にやっておかなければならないことが幾つかある。まず「俳句界」の刷新。同業他誌との差別化を図りたい。今のまま漫然と発行を重ねても、マンネリの串ダンゴでしかない。読者があっと驚くような雑誌をつくりたいと考えつづけてきた。そこで思い切って新年号から新装開店することにした。賛否両論が寄せられると思うが、もし不評が多数であったなら今の編集に戻ればいい。なにごとも失敗を恐れずにチャレンジしてみることである。果たしてどんな新年号をお届けできるか。乞うご期待。
2014 年 10 月号より
俳誌「七曜」は、来年一月号で通巻八〇〇号を迎えるが、これを機に終刊するという。同誌十月号に橋本美代子主宰が告知している。俳壇からまた一つ巨星が消えることになる。「七曜」は一六六四年「天狼」の僚誌として創刊、橋本多佳子が初代主宰に就く。誌名は山口誓子の<麗しき春の七曜またはじまる>に由来する。ことし五月に副主宰で編集長の川北憲央氏が急逝。そのことが休刊決定の引き金となったのかもしれない。主宰の仕事はどの結社においてもきわめて過酷である。小誌ではこの一年間、結社の継承存続についての特集を繰り返し行ってきたが、今回の「七曜」の終刊の報を聞いたとき、やむをえないことかもしれないと初めて思った。<紫陽花を切る決断に迷ひなし  美代子>
2014 年 09 月号より
朝の新宿。一羽の鴉がゴミ箱をあさっている。ビニール袋に入った弁当箱を強引にひっぱり出した。鋭い嘴で弁当箱を地面に叩きつけるが、ビニール袋はしっかり結んであるらしい。鴉はだんだん凶暴になって道路の真ン中まで来て弁当箱と格闘している。そこへ一台の軽自動車が近づいてきた。運転手は路上の鴉を見てニヤッと笑った。スピードをあげて軽自動車が通り過ぎたあとには、ぺっしゃんこの鴉がー。鴉は死んだとたんに一塊のゴミと化する。数分後、ゴミ箱にはごろつきのような鴉が再び集まってきた。むかし、石原慎太郎氏が東京都の知事だったころ、鴉退治の大号令を出したことがある。あの結末はどうなったのだろうか。慎太郎の功績といえば、若いころ障子を突き破って穴を開けたことくらいしか思いつかない。〈鴉啼いてわたしも一人山頭火〉
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