2015 年 12 月号より
加藤楸邨に〈十二月八日の霜の屋根幾万〉という句がある。「十二月八日」は先の大戦の開戦日(一九四一)だ。その日、日本海軍の機動部隊がハワイ真珠湾に集結していたアメリカ太平洋艦隊を奇襲攻撃した。これによって太平洋戦争が始まったのである。霜の降りた屋根の下で息を凝らして戦争の行方を見つめている市民の姿が想像される。私は長い間、この句は季重りだと思っていた。ところが「十二月八日」は季語ではないという。どの歳時記を調べても十二月八日は載っていない。その一方、終戦記念日の八月十五日は季語として収録されている。もし、十二月八日を詠んだ句に「霜」などの季語を入れなかったら無季句となるのだろうか。ま、そんなことはたいしたことではない。終戦から七十年が経って日本に再び軍靴の音が迫りつつある。歴史はくり返す。
2015 年 11 月号より
民族固有の言語、信仰、音楽、生活様式などを喪失したとき、その民族はやがて滅びる。アイヌは明治政府の同化政策の下で伝来の生活形態や文化を根底から破壊された。それでもアイヌの人たちは水面下で自分たちの文化を継承し今に伝えている。琉球においても同様である。幾多の艱難を乗り越えて琉球芸能、琉球紅型、芭蕉布などの伝統を守り今では日本の重要な文化遺産となっている。今、日本の国立大学から文系学部を廃止する”大学改革”が文科省によって推し進められていることを、どれほどの国民が知っているだろうか。文学部系は私立大学に移籍し、国立大学は理工系、医療系の専門校にしようというのである。わかりやすくいうと俳句や短歌では世界の経済戦争に勝てないという考えである。かつてしきりに喧伝された「富国強兵」という言葉を思い出す。
2015 年 10 月号より
この一年余、体調がすぐれない。原稿用紙一枚足らずのこの稿を書くことさえ苦痛である。「文學の森」を興して十三年。せめて十五周年までは頑張りたいと思っているが、体力がもつかどうか。そこで、いま言っておかなければならぬと思うことを書き遺すことにする。――スポットライトを浴びて華やかな舞台に立っている人には、うす暗い会場の観客は見えない。為政者や経営者など、人の上に立つ指導者に往々にしてみられる光景である。一人の独裁者が長年その場に執着することは百害あって一利無し。『平家物語』の一節を思い出す。「おごれる人も久しからず。ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ。(中略)前太政大臣平朝臣清盛公と申しし人のありさま、伝え承るこそ心も詞も及ばれね」。古典の文が現代社会にそのまま当てはまることに驚く。
2015 年 09 月号より
ずいぶん遠くまで来たもんだと思う。わが齢のことである。森澄雄に<はるかまで旅してゐたり昼寝覚>という句がある。「はるかまで」は地図上の距離ではなくて、夢想上のかなたであると澄雄は言う。昼寝の中で冥界まで旅をして、父母や祖父母に逢い、戦友や幼友だちとも再会しただろうか。昼寝から覚めたときの寂寥感がつたわってくる。日本人の平均寿命は男性で80.50歳だという。仮に平均寿命まで生きのびたとして、私の場合、あと三年弱しか残っていない。そろそろ人生の締めくくりの準備をしなければならない。まず祖先の墓前にぬかずき罪多きわが来し方を詫びなければならない。次に、日本に生まれ、人生の最期に日本文化の花・俳句にかかわる仕事に巡り合った仕合わせを神に感謝したい。<生涯の終りちかづく遠花火  大牧広>
2015 年 08 月号より
俳人は変人。変人だから俳人。変人な人ほど俳句がオモシロイ。雑誌も同様。変人度の高い編集者ほど企画がオモシロイ。ことに俳句総合誌はもっと大胆であれと思う。ヌード写真や好色小説があってもいいではないか。安全保障関連法案についての特集を組んでもいいではないか。最近の俳句雑誌はみんなお行儀が良過ぎる。面白くもおかしくもない。これでは売れない。今、俳句総合誌は経営の危機に瀕している。いつどの雑誌が廃刊になっても不思議ではない。にもかかわらずまるで念仏をとなえるように「季語」と「切れ字」と「俳句上達法」の特集をくり返す。ああ、編集者とはなんと融通のきかない職業だろう。月刊「俳句界」の編集部に告ぐ! 既成概念を捨てろ、大いに野蛮であれ。昭和の時代の作家と編集者の狂気のような格闘を見倣え。
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