2015 年 08 月号より
俳人は変人。変人だから俳人。変人な人ほど俳句がオモシロイ。雑誌も同様。変人度の高い編集者ほど企画がオモシロイ。ことに俳句総合誌はもっと大胆であれと思う。ヌード写真や好色小説があってもいいではないか。安全保障関連法案についての特集を組んでもいいではないか。最近の俳句雑誌はみんなお行儀が良過ぎる。面白くもおかしくもない。これでは売れない。今、俳句総合誌は経営の危機に瀕している。いつどの雑誌が廃刊になっても不思議ではない。にもかかわらずまるで念仏をとなえるように「季語」と「切れ字」と「俳句上達法」の特集をくり返す。ああ、編集者とはなんと融通のきかない職業だろう。月刊「俳句界」の編集部に告ぐ! 既成概念を捨てろ、大いに野蛮であれ。昭和の時代の作家と編集者の狂気のような格闘を見倣え。
2015 年 07 月号より
四月に安倍晋三首相が訪米したとき、ホワイトハウスの晩餐会で首相出身地の日本酒『獺祭』が乾杯に供されたそうだ。獺祭についての説明は本誌読者には蛇足であろう。私が少年のころに暮らしていた高知県ではカワウソは身近な動物で、夏に川で遊んでいるとすぐ近くでカワウソも泳いでいた。カワウソの毛皮は良質でそのため乱獲され、やがて姿を消してしまった。二十年ほど前、カワウソの糞が須崎市の新荘川の川原で見つかったという記事が新聞に大きく載った。新荘川沿いの道路には「カワウソの棲む川」という立看板が建てられた。二年前、テレビのニュ-スでカワウソが絶滅種に指定されたことを知った。 八月に『よさこい祭』の見物をかねて "帰郷"する。ついでに新庄川まで足をのばしてみようと思っている。ウソ発見器を持参して。
2015 年 06 月号より
二十数年前「結社の時代」という言葉が話題となった。角川書店の「俳句」編集長秋山實が提案したキャンペーンで、一種の流行語になった。だが成果らしいものはほとんど無かった。稲畑汀子さんによると「結社の時代」の次は「俳句総合誌の時代」であったという。そう言われるといささか面映ゆい。近年、総合誌がオピニオンリーダーとして力を発揮したことは皆無に近い。現代の俳壇を私は「混沌の時代」と呼びたい。主宰の高齢化による病気や死亡で伝統ある結社が相次いで解散に追い込まれている。これから、結社の将来はどう展開していくのだろうか。私は一縷の希望を抱いている。"混沌の力"という言葉がある。カオスの中から、平成の芭蕉・子規と呼ばれるような若い才能が忽然と現れてくるーそんな予感がするのである。
2015 年 05 月号より
少子高齢化が社会問題となっている。お隣りの韓国・中国においても同様であると聞く。特に中国は一九七九年に始まった〝一人っ子〟政策の反動で深刻な事態におちいっているようだ。先日、『世界オモシロCM』というテレビ番組を観ていたら、中国のCMが紹介された。五十歳を過ぎた息子と八十歳くらいの父親が二人で暮らしている。父親は認知症である。息子が父親をつれてレストランに行くと、父親はギョーザを二個ほど口にしただけで残りはポケットに詰め込む。「家にはギョーザの好きな息子が待っているんだ」と認知症の父親は話す。あらすじを文章にすると素っ気ないが映像で観るとグッと胸に刺さる。三十秒のCMが一時間ドラマに匹敵する感動で涙を誘う。十七音の俳句が一篇の小説よりも深い感動を呼ぶことがあることを俳人なら誰でも知っている。
2015 年 04 月号より
坂東三津五郎さんが亡くなられた。享年五十九。あまりにも若い死である。初めて三津五郎さんに会ったのは二〇〇一年、黛まどかさんを中心とした「百夜句会」第一夜の席。二年後の〇二年五月、博多座で十代目三津五郎の襲名記念公演が行われたとき、福岡市にあるわが家で襲名祝賀句会を開いた。参加者は黛まどかさん、数学者の藤原正彦さん、俳優の辰巳琢郎さん、マラソンの増田明美さんなど十余名。一芸一能に秀でた人たちの集まりだけに宴会のような賑やかさであった。だが、どんなときも三津五郎さんは和服の膝を崩すことは無かった。一昨年の夏、博多の居酒屋で酌み交わす機会があった。店の女将が色紙を差し出すと、毛筆でていねいに一句したためた。<討入を果たして残る紙の雪 三津五郎>
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