2016 年 03 月号より
米カリフォルニア工科大は、同大の研究チームが太陽系で地球から最も遠い惑星「海王星」からさらに離れたところに、地球の約十倍の質量を持った巨大な「第9惑星」が存在する可能性を示す証拠を発見したと発表した(1月22日付各紙)。「第9惑星」が太陽を一周する公転周期は一万〜二万年と推定されるという。海王星でも公転周期は二〇〇年にもならない。この想像を絶する宇宙空間は一体どのようにして創造されたのか。現代の科学では"造化の神"という詩的表現でしか説明できない。宇宙空間は今もなお膨張しているという。しかも膨張は加速しているという。そもそも真空の空間が膨張するとはどういうことなのか。宇宙の外には何があるのか。謎はますます深まるばかりである。宇宙飛行士山崎道子さんの俳句。<瑠璃色の地球も花も宇宙の子>。
2016 年 02 月号より
印刷工場から届いたばかりの小誌一月号をパラパラと読んでいたら、別冊の雑詠欄夏石番矢選に<ちんぽこが勃ったらいいなぁ螢見て 神戸千寛>という句が目にとまった。こういう句が発表されると必ずといっていいほど賛否両論が起きる。私はこの句に三重マルである。男にしかわからない哀愁とペーソスがある。能村登四郎の<今にある朝勃ちあはれ木槿咲く>を思いだす。<蒲団敷く地獄極楽絵図のまへ 辻桃子><佐渡ヶ島ほどに布団を離しけり 櫂未知子><春はあけぼの陰の火傷のひりひりと 辻桃子><華麗な墓原女陰あらわに村眠り 金子兜太><花冷のちがふ乳房に逢ひにゆく 眞鍋呉夫><乳房にああ満月のおもたさよ 富澤赤黄男>どの句も大胆かつ自在。実体験と心象風景を重ねることによって俳句の表現世界は一編のドラマとなる。
2016 年 01 月号より
私は一度だけ飯田龍太氏にお会いしたことがある。三十年ほど前、加藤楸邨師のお供をして甲斐の山廬を訪問したときである。立派な門構えの屋敷にわれわれの車が着くと、龍太氏は門の前に立ってわれわれを待っていた。龍太・楸邨の対談は一時間余であった。が、その間、龍太氏は正座をして楸邨を"先達"と呼んでいたことが印象に残っている。対談は終始なごやかに進んだが、どこか研ぎ澄まされた空気が漂っていた。偉大な俳人二人の対談を私は一言も聞き洩らすまいと聴いたのであるが、今そのときの話の内容はほとんど思い出せない。私も緊張していたのである。龍太氏の著書『秀句の風姿』(角川選書)の中で「秀句を生む条件として、非凡な作品を生み出そうとするよりも平凡を怖れず言い切る正直さが大切である」という。<一月の川一月の谷の中 龍太>
2015 年 12 月号より
加藤楸邨に〈十二月八日の霜の屋根幾万〉という句がある。「十二月八日」は先の大戦の開戦日(一九四一)だ。その日、日本海軍の機動部隊がハワイ真珠湾に集結していたアメリカ太平洋艦隊を奇襲攻撃した。これによって太平洋戦争が始まったのである。霜の降りた屋根の下で息を凝らして戦争の行方を見つめている市民の姿が想像される。私は長い間、この句は季重りだと思っていた。ところが「十二月八日」は季語ではないという。どの歳時記を調べても十二月八日は載っていない。その一方、終戦記念日の八月十五日は季語として収録されている。もし、十二月八日を詠んだ句に「霜」などの季語を入れなかったら無季句となるのだろうか。ま、そんなことはたいしたことではない。終戦から七十年が経って日本に再び軍靴の音が迫りつつある。歴史はくり返す。
2015 年 11 月号より
民族固有の言語、信仰、音楽、生活様式などを喪失したとき、その民族はやがて滅びる。アイヌは明治政府の同化政策の下で伝来の生活形態や文化を根底から破壊された。それでもアイヌの人たちは水面下で自分たちの文化を継承し今に伝えている。琉球においても同様である。幾多の艱難を乗り越えて琉球芸能、琉球紅型、芭蕉布などの伝統を守り今では日本の重要な文化遺産となっている。今、日本の国立大学から文系学部を廃止する”大学改革”が文科省によって推し進められていることを、どれほどの国民が知っているだろうか。文学部系は私立大学に移籍し、国立大学は理工系、医療系の専門校にしようというのである。わかりやすくいうと俳句や短歌では世界の経済戦争に勝てないという考えである。かつてしきりに喧伝された「富国強兵」という言葉を思い出す。
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