2009 年 10 月号より
「文學の森」を興して満七年目となる。当初は三年も経ったら誰か若い人に後を継いでもらうつもりで始めたが、赤字経営から脱却できないまま今日に至っている。今となってはこの仕事が私のラストステージだと考えている。最後の仕事という意味だけでなく人生の締めくくりとしてこの仕事をやりとげたいと心に決めている。社員十九名。労働条件も職場環境も決して恵まれてはいないが、全員黙々と頑張ってくれている。深夜、編集部に電話をするといつも必ず誰かが残業している。そんな努力が実ってか、ことしになってから本誌の販売部数が毎月確実に伸びている。目標を決めて肚を据えたら零細出版社の経営もそれなりに楽しいもの。とは言っても個人の体力には限界がある。「文學の森」をいつ誰にバトンタッチするか。俳句結社と俳句出版社は似て非なるもの。だが組織の継続継承の難しさはどこか相通じるものがあるかもしれない。今月号は「結社継承」について考察した。
2009 年 09 月号より
太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。
三好達治の有名な二行詩である。この詩は蕪村の墨画「夜色楼台雪万家図」の讃として生まれたというエピソードが、七月、NHKの『日曜美術館』という番組で放送されたのでご覧になった読者も多いだろう。実は、この話を初めて世に紹介したのは山本健吉である。昭和五十九年、毎日新聞社刊『蕪村画譜』という画集の序文で次のような裏話を書いている。三好達治と親しかった俳人の石原八束が訪ねて来たおり「三好さんは、あの詩は蕪村の『夜色楼台雪万家』というのがあるでしょう。あれだって言うんですよ」という話を洩らしたというくだりがある。もし、石原八束が山本健吉に話していなかったら、この逸話は永久に人々に知られることがなかったかもしれない。それにしても三好達治の詩のなんと美しくも哀しいことよ。現代俳句が忘れて久しい原初の“愛”が胸をうつ。抒情俳句の復興を願って特集を組んだ。
2009 年 08 月号より
もはや戦後ではない…… この言葉は、1956年の経済白書のなかで使われ流行語になった。日本の経済成長はその後も続き、世界に冠たる経済大国となった。敗戦による荒廃と飢餓の記憶は当時を知る世代の減少とともに忘れ去られようとしている。だが文学はあの大戦がもたらした悲劇を永遠に忘れてはならない。角川春樹編『現代俳句歳時記』には「敗戦忌」について「戦争の過ちを繰り返さぬようその体験を後世に伝え、平和への誓いを新たにすべき日」とある。昨今、憲法の見直しと軍備力増強が声高に言われている。8月号を敗戦忌特集とした所以である。
2009 年 07 月号より
晩年の加藤楸邨は「寒雷」の会員の中から3年に1回、新しい同人を推挙した。その人数はわずか4、5名。しかも同人会の幹部が進言しないと4年も5年も新同人を推挙しないこともあった。「寒雷」に入会して30年を越すのにどうして自分は同人になれないのか、と楸邨に直談判に行った猛者もいたという。同人に推挙された者は翌月から楸邨の選を受けることはできない。「これからは自分の思う道を自由に歩みなさい。たとえ野垂れ死にしようとも私はいっさい関知しません」というのが楸邨のはなむけの言葉であった。その楸邨門から多様な俳人が育っていった。これを「楸邨山脈」という。7月3日は楸邨忌。
2009 年 06 月号より
俳句総合雑誌に載っている俳句が面白くないというご批判をいただくことがある。俳句雑誌の俳句が面白くないと言われると、はたと考え込んでしまう。寿司屋の寿司が不味いと言われるようなものである。面白い、面白くない。美味しい、美味しくないという意見は個人差もあるので、一概には言えないが、雑誌発行人としては、思わず膝を打ちたくなるような新鮮なねたの俳句に巡り合いたいと願うこと切である。
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め~る一行詩

第16回山本健吉賞決定

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