2010 年 06 月号より
本誌の投句欄はことし1月号から兼題部門、雑詠部門の選者が2名ずつ増えて両部門の選者は計12名となった。これにより2名以上の選者が選ぶW特選賞が増えるだろうと予測していたが、フタを開けてみると意外にそうでもない。1月号から5月号までのW特選賞は兼題で1句、雑詠で5句のみである。このことは本誌の投句欄のレベルの高さを示しているとも言えるだろう。朝日新聞の「朝日俳壇」は週6000句の投句があるという。それを4人の選者が10句ずつ計40句を選ぶ。入選率は150分の1である。仮に、朝日俳壇の選者が8名とか10名に増えたならそのぶんだけ日の目をみる句が増えることになる。全国で毎年開かれる“大会”と名のつく俳句コンクールでも同じことが言える。無名俳人の膨大なボツ句の中にひょっとしたら芭蕉や虚子の1句に匹敵するような秀句が埋もれているかもしれない。そんなことを想像するとなんだか悲しいような、わくわくするような複雑な気持に駆られる。う~ん、俳句ってやっぱりオモシロイ!
2010 年 05 月号より
最近の月刊「俳句界」はなかなか面白いですね、と褒められることがある。お世辞半分としてもうれしいことである。私が、「俳句界」の発行を引き継いだのは2003年の5月号から。そのころ俳句総合誌は8誌あったが、マラソンにたとえるなら「俳句界」は先頭グループから大きく引き離されて息もたえだえに、どん尻を走っている状態だった。あれから満7年。途中、なんども躓いたり回り道をすることもあったが、最近やっと先頭ランナーの背中が見えるところまで追いついてきたと自負している。とは言ってもライバルは強敵ばかり。体力勝負では太刀打ちできない。ここは小出版社ならではの大胆な企画力で差別化を図るしかない。先月号の「佐高信の甘口でコンニチハ!」の中で、作家の森村誠一氏が山口誓子の句<海に出て木枯帰るところなし>を取り上げて「覚悟の句だなと思います。作家たるものかくあるべし」と語っている。身の引き締まる言葉である。出版界という大海原へ舟を漕いで出た以上、今さら引き返すことはできないと決意を新たにするものである。
2010 年 04 月号より
NHKの大河ドラマ『龍馬伝』の影響で、ちょっとした土佐弁ブームらしい。若者の間でも「待っちょるぜよ」などの土佐弁をまじえた会話やメールが増えているとか。1950年ごろ、方言は「田舎者の言葉」という理由から、方言撲滅を目的とした標準語教育が行われた。私が通っていた小学校では「方言切符」が配られ、うっかり方言をしゃべると切符を1枚徴収されるという罰ゲームもあった。日本の高度経済成長期に集団就職で都会へ働きに出た少年少女たちは、ふるさとの訛りをからかわれて悔し涙を流した。いま、自分たちの方言を見なおそうという機運が各地で高まっている。地方へ行くと駅前にお国ことばの歓迎看板を見かける。素朴な人情味が感じられてうれしくなる。鳩山政権は「地方分権」を掲げるがその政策は心もとない。方言復活こそが日本再生のキーワードと言いたい。本誌が募集した「第2回方言俳句」の入選作が今月号に発表される。私はまだその内容を知らないが、どんな作品に出合えるか楽しみにしている。
2010 年 03 月号より
本誌1月号の「作品六句鑑賞」欄で中上哲夫氏の次の文が目にとまった。「忌日が苦手だ。歳時記をひもとくと、忌日一覧が載っているけど、俳人にかぎらず、忌日がなかなか覚えられないのだ。その結果、忌日を読んだ句は季がわからない」――同感である。俳句は一読して感動することがたいせつ。歳時記や辞書を調べてから鑑賞となると、感動が間延びしてしまう。私が知っている忌日はせいぜい「西行忌」と「時雨忌」くらい。「西行忌」は〈願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ〉という西行の歌と〈花あれば西行の日とおもふべし〉という角川源義の句をセットで覚えているからである。「芭蕉忌」となると、さていつだったけと考えこむが「時雨忌」というと印象鮮明である。加藤楸邨に〈芭蕉忌やはなればなれにしぐれをり〉という句がある。この句は〈旅人と我が名呼ばれん初しぐれ〉という芭蕉の句と呼応しているのだが、留意すべきは楸邨句の季重なりである。忌日の句は季重なりとなっても季節のわかることが肝要であろう。
2010 年 02 月号より
本誌12月号で、眞鍋呉夫氏と正木ゆう子氏が「雪女」について対談している。眞鍋氏は平成4年、句集『雪女』で読売文学賞を受賞。昨年刊行された『月魄(つきしろ)』にも雪女の句が数多く収録されている。いまや雪女の句といえば眞鍋呉夫、眞鍋呉夫といえば雪女の句と言われるほどである。一つのテーマをライフワークとして詠みつづけることは容易ではない。ことに「雪女」のような幻想世界をあたかも現実に目にしたかのように新鮮なトリックで読者に感銘を与える表現力は、小説家ならではの想像と創造の賜物であろう。たまたま手元にあった俳誌「童子」(平成21年11月号)を読んでいたら、辻桃子主宰の次の文が目にとまった。――〈甚平は鍛冶師の兄の形見かな 齋藤耕牛〉 おなじみ耕牛さんの鍛冶師ものだ。この甚平も泣かせる。一生一つのテーマで作りつづけてほしい。句作りとは一生自分にしか描けないことを描くことなのだ――眞鍋呉夫氏の「雪女」の句にも通じる評文である。俳句とは、十七音の詩を紡ぎつづけながら書き上げる大河ドラマなのだ。
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