2011  年 11 月号より
時代小説の名手藤沢周平が、二十代の療養生活の時代に俳句雑誌「海坂」に投句していたことは知る人ぞ知る話である。周平は揮毫を乞われるといつも〈軒を出て犬寒月に照らされる〉という句を書いた。その理由を「むかしむかし百合山羽公先生にほめていただいた句なので」とエッセイに記している。松本清張は小説家になる前は朝日新聞西部本社の広告部に勤めていた。そのころ同じ北九州市に住んでいた横山白虹の知遇をうける。清張の小説にしばしば俳句を趣味とする主人公が登場するのはその影響かもしれない。なかでも『巻頭句の女』という短編は白眉である。俳句結社の主宰が名探偵さながらに犯人をつきとめるという話である。〈わが道は行方も知れず霧の中 清張〉いかにも推理小説の作家らしい一句だ。
2011  年 10 月号より
夏の日の午後六時過ぎ、羽田発福岡行のJALに搭乗。機窓の外に目をやると、今まさに沈まんとする真っ赤な太陽が見える。羽田空港の夕陽はいつ見ても美しい。離陸して、一時間ほど居眠りしたのち窓の外を眺めると前方の雲海の一箇所が白く発光している。そこに沈む太陽があるのだ。座席を起こして見つめていると、なんとしたことか太陽が少しずつ上昇してきたのである。あれよあれよと思うまに太陽の全容が雲の上にあらわれたのだ。夕日を追いかけるように西に向かって飛び立った飛行機が太陽に追いついたのか、それとも飛行機の高度が捉えたのか。感動して眺めていると太陽は再び雲海の中にゆっくりと沈んでいった。福岡空港に着くころ、夜の帳(とばり)がおりた博多湾の沖には無数の漁火が光っていた。
2011  年 09 月号より
立板に水の口上よりも、朴訥とした話しぶりのほうに信頼感を抱くことがある。俳句の場合も同様である。どこかぎこちない表現だけれどそのぎこちなさが魅力の句がある。「何十年もやっていると上手な俳句はいつでも作れます」と、先師加藤楸邨から言われたことがある。巧い俳句よりも自分自身の句を作れと諭してくれたのだ。「若いころ、熊谷守一の字に憧れたことがあってね……」と話してくれたこともある。楸邨の能筆はひろく知られている。その楸邨が、いわゆる〝へたうま〟の熊谷守一の書が好きだったという話には少し驚いた。たしかに楸邨の晩年の俳句には守一の書画の世界と通じ合う諧謔味がある。へたうまは狙ってできるものではない。無欲の境地から生まれた才能の到達点であるのだ。
2011  年 08 月号より
東京神田の古書店や大阪の古書店組合から年2回「古書目録」を送ってくる。その目録から『小説芭蕉の臨終』(沼波瓊音著、大正二年刊)という本を見つけた。小説ということに興味をもって購入したが、ストーリーはまったくお粗末。芭蕉が病床に臥せてから死去するまでの数日間の弟子たちの看病ぶりを書いているだけ。小説と呼ぶにはドラマもフィクションも無い。ところで本号の特集は「芭蕉異説 アウトロー伝説を追う」である。この企画は編集部の提案。何か意味いわくありそうなタイトルだったので、OKを出したが果たしてどんな異説新説を展開できるか? 嵐山光三郎『悪党芭蕉』(新潮社)の二番煎じではつまらない。雑誌は企画が命。そして毎号が勝負。看板倒れにならないことを念じている。
2011  年 07 月号より
「天は二物を与えず」という。だが、高濱虚子は能楽においても天賦の才能を発揮した。虚子著『能楽遊歩』(昭和十七年刊)の序に「私は子供の時分から能楽が好きであった」と述べている通り、虚子は終生、能楽に親しんだ。「〈沈黙の文芸〉といふ言葉が私の心を強く牽きます。沈黙の力は偉大であります。俳句も沈黙の文芸であります。能楽も沈黙の文芸であります」虚子の思想の一端を表わす文である。話は異なるが、水原秋櫻子著『高濱虚子』(昭和二十七年刊)の最終章「別離」の中で、虚子から能楽会の稽古に誘われてしぶしぶ出席した秋櫻子だったが「予想どほりの苦しさで懲り懲りした」と愚痴をこぼしている。虚子から少しずつ離れていく秋櫻子の微妙な心の動きが読み取れておもしろい。
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