2017 年 05 月号より
十年ほどまえ、稲畑汀子先生と金子兜太先生の対談を掲載した。そしたら東京の某新聞のコラム欄に「驚いた!」という記事が載った。そのあと、作家の村田喜代子氏と高樹のぶ子氏の対談を載せた。こんどは有名な雑誌の編集長から「びっくりした」という手紙をもらった。作詞家の阿久悠氏の特集も好評であった。俳句雑誌でありながら俳句以外の企画が好評とは皮肉である。さて、今月号は高倉健さんー。高倉健さんと俳句雑誌とでは氷炭相容れず。賢明な読者はどんな審判をくだされるか、いまは受刑者の気持である。企業にとって業績の浮き沈みは付きものであるが、最も驚くことは小社が来年で創立十五周年を迎えることである。三年はもたないだろう言われてスタートしたが、たいした苦労もなく、あっという間の歳月であった。奇跡としか言いようがない。
2017 年 03 月号より
私の朝は新聞を読むことから始まる。一面から順次めくってゆき、見出しで目がときどきとまる。新聞俳壇は特に気にして読むということはないが、それでも俳壇の頁はゆっくり読む。なかでも黒田杏子氏と茨木和生氏の句評が好きである。一月八日の日本経済新聞。黒田杏子氏の入選一席は〈新年の鐘が鳴るなり法隆寺 佐野仁紀〉選評は「一読正岡子規の句を想うけれど、やはりこの句はすばらしい」茨木和生氏の入選一席は〈三島忌や廊下の奥の非常口 山村昌弘〉選評は「一読、渡辺白泉の〈戦争が廊下の奥に立つてゐた〉を想起する」とある。二選者とも一読という語を使って先行句があることを指摘している。最近、類想類似句が多いようだ。それらのすべてを否定するものではないが、俳句作家としては先行句を超える覚悟が望まれる。
2017 年 02 月号より
淘金。ゆりがねと読む。砂金の混じっている土砂を水中で揺り動かして砂金だけを選びとること。こどものころ、川辺の砂を金網で漉すと米粒の四分の一位の砂金が稀に見つかる。こどもたちは大騒ぎである。見つかった砂金は小さなマッチ箱に入れて蒐集する。だが、そのマッチ箱もこどものころの夢と共にいつのまにか行方不明。この淘金という作業は、俳句の選と似ている。大きな束でとどく投句ハガキを一枚一枚ていねいに読んで秀句を選ぶ。「投稿俳句界」一月号の雑詠欄で二名以上の選者から特選にえらばれたのはたったの二名。十六名の選者がいてこの厳選。選者の人数が減れば入選数も減る。ダブル特選は淘金よりもむつかしい。今から五十年前、加藤楸邨選の巻頭を狙って『寒雷』に投句していたころが無性になつかしい。
2017 年 01 月号より
国宝「鳥獣戯画」展を観た。九州国立博物館(福岡県太宰府市)で開催された「京都高山寺と名恵上人」展に合わせて特別公開されたもので、開催期間ぎりぎりに足を運ぶことができた。小川で水遊びをする鬼や猿、相撲に興じる蛙と鬼など擬人化された動物たちが生き生きと描かれていて、いつまで見ても飽きない。俳句の世界で「鳥獣戯画」といえば、鈴木榮子さんを語らずして素通りはできない。鈴木(以下敬称略)が「鳥獣戯画」によって角川俳句賞を受賞したのが七二年。その六年後、受賞作を含めた処女句集『鳥獣戯画』により俳人協会新人賞を受賞。その反響は大きかった。戦後の俳壇で鈴木ほど華やかにデビューした人を私はほかに知らない。句集『鳥獣戯画』が日本文化の豊饒さと日本語の美しさを後世に伝承した功績は大である。〈北山時雨きて鳥獣の国濡らす 榮子〉
2016 年 12 月号より
ある調査会社によると、書籍と雑誌を合わせた出版物の2015年度の販売はピークだった1996年の六割弱まで縮小しているという。特に深刻なのはこれまで出版界を支えてきた雑誌の売上高が書籍を下回ったのである。昨年四月、日本経済新聞に「伝統の角川書店消滅」という記事が出たときは我が目を疑った。IT企業ドワンゴに買収された角川書店はKADOKAWAに変わり、編集機能を集約し人員整理するという策に打って出た。角川だけではない。大手出版社から発行されていた文芸誌が次々廃刊に追い込まれている。さて、読者の皆さんはお気づきだろうか。小誌の取扱書店が十一月号から約100店ふえました。(月刊『俳句界』12月号255頁参照)。これは雑誌流通の大手、トーハンの協力によるもので、月刊「俳句界」の今後の出版に心強い追い風となった。深謝。
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第16回山本健吉賞決定

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