2017 年 08 月号より
小学五年生のとき、国語の教科書に「壁や天井のシミが絵画に見える人は、それだけで詩人である」という文章があった。その日の夜、布団の上に寝ころんで壁を見まわした。そこはまさに百繚乱の世界であった。壁の周囲には山脈が連なり、その下には農村の風景がひろがっている。田んぼがあり、橋があり、民家が点々とある。ところどころには怪物のような怖い顔の巨人が大きな口を開けて見おろしている。芭蕉は「俳諧は三尺の童にさせよ」と言った。虚子は「写生」と言い、楸邨は「真実感合」と言った。いずれも言おうとすることは同じである。夏石番也氏より色紙が届いた。<未来より滝を吹き割る風来たる>という句が揮毫してある。「風」とは民衆のエネルギーなのか。ここには番也氏流の写生があり、真実感合がある。
2017 年 06 月号より
「峠」という漢字は単純明快である。山を上がり下がると書く。それにくらべ韓国は「峴(コゲ)」と書く。いちど故郷を出て肉親たちと別れたら二度と逢えないかもしれないという不安と悲しみで集落が見えなくなるまで見すえておこうという情念がこめられている。情念を「恨(ハン)」と言いかえてもいい。昭和二十年、戦争が終わってから村の峠を越えて毎日戦死者の遺骨が還ってきた。白い布につつまれた木箱を胸に抱いた妻を先頭に十人ぐらいの行列が連日峠を下りてくる。そんな光景を少年の私はぼんやり眺めていた。そのころ、私は高知県の一寒村に住んでいた。隣町へ行くには国道をバスに乗って三十分くらいの距離であったが、村人たちは片道二時間かけて峠を越えた。みんな貧しかった。私もなんどか峠を越えた記憶がある。少年雑誌を買うためには隣町まで行かねばならない。峠の反対側の村は外国のように新鮮であった。遠くに町並みが見え海が光っていた。あの小さな村からいったい何人の若者が戦場に狩り出され戦死したのだろうか。今ごろになってそんなことを考える。敗戦から七十年、私もすっかり年老いた。
2017 年 05 月号より
十年ほどまえ、稲畑汀子先生と金子兜太先生の対談を掲載した。そしたら東京の某新聞のコラム欄に「驚いた!」という記事が載った。そのあと、作家の村田喜代子氏と高樹のぶ子氏の対談を載せた。こんどは有名な雑誌の編集長から「びっくりした」という手紙をもらった。作詞家の阿久悠氏の特集も好評であった。俳句雑誌でありながら俳句以外の企画が好評とは皮肉である。さて、今月号は高倉健さんー。高倉健さんと俳句雑誌とでは氷炭相容れず。賢明な読者はどんな審判をくだされるか、いまは受刑者の気持である。企業にとって業績の浮き沈みは付きものであるが、最も驚くことは小社が来年で創立十五周年を迎えることである。三年はもたないだろう言われてスタートしたが、たいした苦労もなく、あっという間の歳月であった。奇跡としか言いようがない。
2017 年 03 月号より
私の朝は新聞を読むことから始まる。一面から順次めくってゆき、見出しで目がときどきとまる。新聞俳壇は特に気にして読むということはないが、それでも俳壇の頁はゆっくり読む。なかでも黒田杏子氏と茨木和生氏の句評が好きである。一月八日の日本経済新聞。黒田杏子氏の入選一席は〈新年の鐘が鳴るなり法隆寺 佐野仁紀〉選評は「一読正岡子規の句を想うけれど、やはりこの句はすばらしい」茨木和生氏の入選一席は〈三島忌や廊下の奥の非常口 山村昌弘〉選評は「一読、渡辺白泉の〈戦争が廊下の奥に立つてゐた〉を想起する」とある。二選者とも一読という語を使って先行句があることを指摘している。最近、類想類似句が多いようだ。それらのすべてを否定するものではないが、俳句作家としては先行句を超える覚悟が望まれる。
2017 年 02 月号より
淘金。ゆりがねと読む。砂金の混じっている土砂を水中で揺り動かして砂金だけを選びとること。こどものころ、川辺の砂を金網で漉すと米粒の四分の一位の砂金が稀に見つかる。こどもたちは大騒ぎである。見つかった砂金は小さなマッチ箱に入れて蒐集する。だが、そのマッチ箱もこどものころの夢と共にいつのまにか行方不明。この淘金という作業は、俳句の選と似ている。大きな束でとどく投句ハガキを一枚一枚ていねいに読んで秀句を選ぶ。「投稿俳句界」一月号の雑詠欄で二名以上の選者から特選にえらばれたのはたったの二名。十六名の選者がいてこの厳選。選者の人数が減れば入選数も減る。ダブル特選は淘金よりもむつかしい。今から五十年前、加藤楸邨選の巻頭を狙って『寒雷』に投句していたころが無性になつかしい。
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