南清璽の世界

南清璽の世界

女とくだんの男

 半弦のアーチが架かった橋でした。ローゼ橋ともいうようです。夜ともなればライトアップされ、その淡いクリーム色の塗装ゆえ、電飾が真珠のように見えました。ふと見れば女性が佇んでいるではありませんか。アーチに背をもたげスマホに挿したイヤホンをしていました。実は、全然、知らない女性ではなかったのです。不思議と気になる存在でした。だから、ついつい視線を向けてしまいます。距離にして十メートルほどでしょうか。私を認め会釈してくれました。こういった場合、自分も会釈し、そのまま通り過ぎるのでしょうが、そうともいかない事情が存しました。もちろん、特段のものでもなかったのですが。

 彼女は、この橋の近所にあるショッピングモールでレジを担当されている方でした。ただ、女性として、好みのタイプではありました。何分、瞳がつぶらでお人形のような方だったからです。だから、畢竟、いつもその方のレジに並ぶようになりました。しかし、私を認めるや、やや困惑の表情を浮かべるのも事実でありました。きっとなにがしかの迷惑を感じていらしたのに違いありません。だけど、私にしてみれば、どうせなら好みの女性のところに並ぶ方がいいし、そういった表情を見せるのは、裏を返せば、私のことを異性として意識しているからだと考えました。そんな事情から他愛のない会話を交わしたくなったのです。

「御主人と待ちあわせですか?」

 その歳格好からして既婚者であると思っていました。そして、そのとおりですと肯定された後、「いいですね!」の一言を云うつもりだったのですが、現実は、全く予想だにしない展開となりました。

「これから男の人と会うのですが、一緒にいてくれませんか?」

 その物言いに、どことなく哀切を感じました。もっとも、男女の痴情が絡んだ事柄であるとの察しはつきましたが。しかし、その物言いのお陰で無下に断われなかったのです。

 そうして、暫くして、くだんの男が来ました。その男を認めるや「この人よ」と女性は指さし彼に私を示しました。その仕草がナチュラルであるがため、違和感なく、近くに留まっていたタクシーに男共々それに乗り込むことができました。その男性は見るからに堅気、少し蔑む言い方をすれば、女々しい感じのする人でした。一方、暴力沙汰になってもという私の不安は払拭されました。

 都会のど真ん中にまだ、こういう一角があるのかと思うぐらい狭い道が入り組んだ中を行きました。そして、やがて着いたのが何戸かが軒を連ねた長屋でした。どうやら、その一戸がこの女性の住まいのようなのです。おそらく、男が囲うために用意した物件だと考えました。また、その中の様子とは全くの寝泊まりするだけの空間というべきもので、調度品もベッドとテーブルだけでした。一方、何故か、私達三人がテーブルを囲む光景が馴染む次第でもあったのです。ただ、驚いたのは、照明でした。傘の中の電球を回して灯したのです。もちろん、昔はそうしたのでしょうが、懐かしいなどという感情は起こらず、ただただ唖然となりました。

「そうよこの人よ。私が関係を持っている人は。」

 相変わらず事情が呑み込めない状態には違いありませんでした。でもここは彼女に協力し、話を合わせることにしました。

「結婚するつもりなのでしょうか?」

 男はそう私に尋ねてきました。

「実は、決めかねていまして。でも、そういった関係は続けるつもりです。」

 適当な答えでした。これが彼女にとって功を奏し、プラスになるか分かりませんでした。

「妻と離婚することにしたというのに。お陰で譴責になったよ。」

「どこかへ飛ばされるんでしょう?」

「だろうな。」

 今にも泣きだしそうな表情でした。それゆえ、哀感を覚えずにはいられませんでした。もちろん、まじまじと見つめるのは、いけないと思うのですが、つい、見入ってしまいました。やはり,場都合が悪くなったのでしょうか。おもむろに立ち上がり、何も告げずそのまま部屋を出てゆきました。

 私はふと感じました。きっと小心な人で、女性を取り合うことができない御仁だと。そんな想いに耽る余り何も言わずに黙っていたのです。しかし、彼女はこういった雰囲気を嫌ったのでしょう。

「驚いたわ。あんな場合、普通、将来は結婚するつもりって言うんじゃない?」

 彼女の云うことは至極尤もでした。何故あんなふうに云ってしまったのかこうして振り返ってみても所以は確知できない有様でした。

「でもかえってリアリティーが、あったかもしれないわね。だからあうやこうや聴かれなかったんだわ。」

 安堵からでしょうか。彼女は屈託のない表情で話しました。それに呑まれるのにしても、やはり、こうなったいきさつを尋ねるのが筋なんでしょう。しかし、一方で、このまま聴かずに立ち去るのもありかとの考えもありました。

 もっとも彼女にすればそう思っているにしても、何か、聴きたげであったと見えたのでしょう。彼とのこれまでのことを語ってくれました。

 その梗概はこういったものでした。彼女は、元々フーゾクに勤めていたようです。彼は、初めてお店に出たときの顧客で、そのときはいかがわしい遊具を使い大変な目に合わせたそうです。そういったところへ行かない私でも、だいたいの見当はつきました。その後は、顧客としての関係だけではなく、プライベートでも付き合うようになり、案の定、囲われることになったみたいです。ただ、そうともなると、フーゾクで働かせる訳にはゆかず、彼自身の勤めるあのショッピングモールに雇用したのです。いってみれば、上司と部下になったのです。でも、彼の奥様にバレてしまい、会社に告げられたため、地方に左遷させられることになったと。

 一方で、彼女も自分の可哀想な身上を語ってくれました。それは夫と離婚し、子どもの親権者になったものの、その夫の母親に連れ去られ、挙句、人身保護請求の弁護士費用が工面できず、取り戻すのを断念したことでした。

「あの人の妻になる気持ちなんてさらさらなかったわ。離婚さえすれば妻になってくれるなんて思い上がりもいいことよ。」

 彼女の話を聴いて思い浮かんだのがカルマという言葉でした。もちろん、その定義を正確に知っていた訳ではありません。ただ、感覚的にしっくりとするだけでした。もっとも彼女にも男にもシンパシーは起こりませんでした。蔑むでもなく、でも、二人に対して、気品を感じていました。私は、そこを後にし、かんを頼りに地下鉄の駅へと向かいました。ただ、協力したからか、一応は、誘う素振りを見せました。しかし、その小心から、気づかないふりをしました。

 彼女は、そのショッピングモールは辞めるつもりだと云ってました。だとすればもうこの女にも男にも会うことはないかという根拠のない考えを懐いてたのでした。

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コメント

  1. 物語の展開に引きつられ、その余韻に浸りました。いつの時代も男と女は切ないです。

  2. ゴルゴダさん、ありがとうございます。男女の機微、その切なさが描けたらとの想いがありました。それだけに大変嬉しく存じます。

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